棚田になった集団墓地の段差のまばらな石段を、三途の川の畔で石を積み上げるように無心に登らねば、音の出所が分からないような高い位置に、いつの間にやら高速道路が建設されていた。
建設途中のそれは、まだずっと高い位置へ登らねば俯瞰が出来ないほど高く、地を這う人々の視界には映らない。
そんなものがいつぞや轟音を其処彼処へと運ぶ道程の欠片でしかないことを空恐ろしく感じる。
酸素を多量に必要とする身体の動きが久しく、衰退した内臓がそれぞれに熱を持ってもっと酸素をと、心臓をこぞって叩く。
この感覚に懐かしさを覚え、同時に薄く口元に笑みが浮かぶ程度の感情の高揚。僕の脳は赤く蠢く身体の中身と連携して、次々とアドレナリンを吐き出しているのだろう。
そして平たく不規則な段差を越え、いくつもの一族の系譜を通り越して、もう何段の世代を通り越したかわからないくらい高い位置、それでもまだこの集団においては中腹とさえ言える位置までたどり着く。
二度も鋭角の曲がり角を登らされて既に数えるのはやめているし、そもそも分類の基準からしてわからないが、少しばかり前に言われていた該当の数字の看板を前に一瞬だけ立ち止まる。
昼下がり、一年に二度の彼岸は旬を迎えて、秋の紅葉がちらほらと墓地にも伺える。そこは甘ったるく脳髄を蕩かす線香のにおいで満ちていた。
立ち止まったついでに振り返るが、五段ほどの平べったい岩が道しるべになっているだけで、石の寄り添う空間に、異様な高速道路が視界に加わるだけだった。
建設中の道路は途中で途切れ、従順に侍るクレーン車から伸びる細い線に支えられたようなそのフォルムは、恐怖で出来た仮想空間へ落ちていくのには充分な衝撃だった。
僕の記憶に最後に上書きされた彼の姿には、赤や青の派手な線が諸手を挙げて蹂躙している様子にも見える。
熱に晒された彼の肌を宥めるような白い包帯とガーゼの上に、それらは遠慮もなしに跋扈して、まとめて切り離してしまいたい衝動に駆られる。
理由はこれだけではないが、僕は彼の眠りには極力触れないように努力した。
それから終わりのない深淵へと落ちていく前に、一度だけ彼は目を覚まし、感謝の言葉を口にして、ようやっと自分で激動の舞台に自ら幕を下ろした。
途切れた道路はその瞬間的な躍動を、細く長く伸びるクレーンとロープは彼を分析するための電子機器の手足を思い出させた。
これに比べたら僕が毎日浸っていたエンジンの激震など取るに足らない微震だったのだと理解する。
知覚に付随する魂が震える。或いはその逆か。
あまりの不意打ちに面食らって立ち止まっていたのは、時間にしてどの程度なのか。
いつものように急激に、自らの視界に戻ってくる。
音を立てる工事重機は先を急いでその形を作っていく。
僕は沢田綱吉が埋まった墓に向き直る。その拍子に右手でかさりと紙の擦れる音。
数字が書かれた看板は大きく朽ちることもなく、代わり映えのない姿で道を示している。そこから名前を目にしながら歩いていけばいい。
よくよくと名前を見ればその石の前にはとりどりの色の線香が横たえられて、白い煙を上げている。ところどころでは花も見受けられる。
そして丁寧に左右の花を振り分けられて、周囲と足並みをそろえる様に狼煙を上げるひとつの前で立ち止まる。
少しばかり迂回をしすぎたかも知れない。
彼が生きていた理由を思い出すには、時間がかかりすぎた。
「あまり上等ではないけれど」
しゃがみ込むとそれに呼応して足の裏で石が鳴る。
美しく並べられた花に自分の持ってきた花を混ぜるのは少し気が引けて、包装もそのままに、地べたへと白い花を寝かせる。
幾重にも重ねられたその花を、彼の式でも目にした。精緻なそれは彼と共に焼かれて、無視できない象徴のうちのひとつとして僕の心に深く突き刺さっていた。
「遅くなってすみません」
何となく口をついて出た言葉は、骨を伝って鼓膜を揺らし、周囲の騒音と混ざっていく。僕は苛立ちもなくそれを受け取る。
誤魔化しようもないくらいの遅刻だ。それでも彼はきっと、少しの文句だけで何もなかったことにしてしまうのだろう。
そういった所作のひとつひとつが僕の針山を更地にしていく。何度も何度も同じことを繰り返し、気づけば僕の感情の大地そのものが崩されていた。
それは事実。僕は両足に力を込めて、彼の前から遠ざかる。
どうせまた来るのだから、次はもっと気の利いたものを持って来よう。
往路より軽い足で石畳を越えていく。
つい先ほど、気をとられた景色には先立ってやってきた寒波に傾いでしまったような影が落ちている。
リズム良く降りていけば、水汲み場として整備されて蓋のされた井戸のすぐ傍に、真っ黒な姿があった。
僕は目を丸くして、止まりかけた歩みに強制的に進むように働きかけて近づいていく。
「久しぶり」
「ええ」
珍しく言葉の挨拶から始まるとは、雲雀恭弥といえど彼の前では控えめになるのだろうか。単一の色を濃くしていったようなその気配は変わるところがなさそうだけれど。
「えらくタイミングが良いですね」
「タレコミがあってね」
過去に暴君として君臨していた彼が軽く口角を上げながらポケットを叩くと、その中身は携帯なんていうありふれたものではなく、もっと暴力に満ちた固体かと疑ってしまう。
あくまで警戒はしたまま、僕は彼の存在に納得していた。
あの石を飾っていた花も線香も、きっとこの人だろうと。
ここはひとつその美しい仕事に敬意を払い、一度だけ頷いて、僕は口を開くことにした。
「やっと思い出して、もう今更だというのに」
彼から笑みらしきものは消え去っていた。黒目の大きい瞳に縫いとめられても、そこから外れることなく従順にそこに在り続けた。
遠くの工事現場で鉄骨の転がる甲高い音がする。
僅かに熱せられた空間は、血の系譜の偶像の連なるこの墓地まで届き、そして掻き消えていく。
「今更ってわけでもない」
もう一度、鉄骨が地面を転がり、太陽の最盛期よりは穏やかに気化する井戸水を真っ黒な靴で踏みにじって、彼は僕を肯定した。
「僕はずっと待ってた。君しかその理由を知らないから」
真っ直ぐ、敵意も敬意も等しくゼロの値を示したその瞳に情けの類は含まれていない。
完璧な純粋さで雲雀恭弥は僕を見据えた。
まともにそれを受け止めて起きるショートサーキットの凶悪さ。
ただ只管に走り続けた永久機関は、この世を去った男に止められてしまった。そして再び始めることも出来ず、こうして退化するのだろうか。
油の切れた機械のように継ぎ目が馬鹿になっている、僕の脳髄はひとつの答えをはじき出した。
来ないものを待ち続ける僕らはお互いの近似値足り得る存在であったのだ。ゆえに、どちらもお互いに影響を及ぼすことができない。