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訳:ペース配分ができない

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しき 4

 惜しむらくは、意外と美味しかった缶コーヒーの名前を覚えていないことと、砂利を踏みつけて走るタイヤが立てる屈強な音が、もうしばらく遠くなるということくらいだろうか。



しき-この上なく貴いもの。


 四季の巡りが顕著なこの国の今は、朝一番の冷えは特段に厳しい。
 高層にある部屋から見下ろすビルで埋め尽くされた町並みは、日の出がいくら遅くなろうが、時間が来れば自動的に動き出す。実に機械的な運動を自らの吐息で白く染める。
 しかし、その厳密な規則は見ていて飽くことがない。
 一見して規則にまみれてはいるものの、その大衆の中で密かに範囲から逸脱する者がいる。
 例えばこの一室とか。
 悪い芽は早々に摘めというのは万国共通なのだろうか。植物由来の古い風習は数が多くて把握しきれないから、定かではないが。
 少し身を乗り出せば、眼下のコンクリートの上を蠢く人々が見える。とてもじゃないが、僕には数え切れない。
 ここから見れば辛うじて人と判別がつくそれも例外なく、事物は桁が増えれば増えるほど、確率としては同じように悪も増えていくものだ。
 善ばかりがはびこっているわけでもなし、それでも人々は、自らが逃れるためならば必死で悪から目を逸らすのだろう。
 部屋にこびりつくような血臭を逃がすためだけに、無防備に窓を開け放っているのに、誰一人としてここで人が死んだことに気づかない。
 しばらく出入りの形跡がないベランダを僕は拝借している。足はつかないようにしているし、ついてもどうにかなるだろう。
 危険度や限界など所詮目安でしかない。標準の積載量を越えても乗り物は走れるように、細かいことを気にしても仕様のないことだとわかってしまえば、あとは楽観的に生きていくのが一番良い。
 そして一仕事を終えて、しばしの物思いの時間も堪能した。この部屋にこれ以上とどまっていても面白味がない。
 ケースに手斧や何やらを仕舞うのも慣れたもので、それよりも僕の思考を占領するのはやたらと口が上手になった雇い主だ。
 あまり遅くなると文句を連ねられてしまうし、最近では僕との口論もお手の物だ。
 これ以上に芸達者になってもらっては僕が困る。
 ドアを閉めて鍵を回す。古臭いコンクリート造りのマンションは悪事にはうってつけだが、その悪事が排除されるべきであり、またそういった面にばかり思考がいってしまうような人間はあまりに脆弱だ。
 地下一階まで降り立ったエレベーターから降りて、まだシャッターを閉じたままの店舗を通り過ぎ、階段を登って一階に出る。この程度のカムフラージュにとどめておけば、情報が勝手に錯綜してくれるので便利でありがたい。
 僕は黒のコートの襟を少しだけ持ち上げて、寒波に耐えるサラリーマンと同じように、競って背を伸ばすビル郡を少しばかり歩く。
 町のほとんどは目覚めていて、朝のコーヒーを啜って夢の残滓を洗い流している。
 凍える鼻の先の小さな痛覚を誤魔化すように、自分の吐き出す白い息にリズムを見出してみる。
 そうしていくつかの小さな路地を越えて、申し訳程度の小さな公園にたどり着く。
 都会に穿たれたその空白には小さなベンチが設置され、その上に腰掛ける小柄で若いサラリーマンがひとり、右手に携えた缶コーヒーで暖をとっていた。
 どうやら対面するマンションの上層階の一室に興味があるようで、あと五歩程度の距離まで近づいて、沢田綱吉は漸くこちらに目を合わせた。
「お疲れさま」
 そっけなくそれだけ言って、また同じ角度で空を見上げる。
 この徒労をないがしろにしてまで見るものが何なのか、僕は酷く興味をそそられて、彼の視線を辿って空を見上げる。
 しかし最初から期待などはしていなかった。彼の興味と僕の趣味はまったくと言っていいほど合致しない。それはまさに奇跡のような偶然さで僕らはすれ違い続けている。
 案の定その先に見えたのは、エキストラキャストとしてまとめあげられてしまいそうな、ごく一般的なマンションとその部屋。
「何か面白いものでも?」
「いいや別に。お前があまりに道草を食っているようだからあの部屋の人が洗濯物を干し終わるまで全部見届けちゃっただけで」
「そりゃ楽しかったでしょうね。寒いので僕にもコーヒーください」
「どうぞ、この先まっすぐ」
 ポケットに突っ込まれたままの左手を少し揺らして方角を指示するこの投げやりな態度。
 確かに道草を食ったことは否定しないけれども、このような扱いでは僕もやり返さねば気がすまなくなってしまう。
「いいです」
 どかりと腰を降ろしたついでに乱暴に足を組む。
 そうすれば彼はしょうがないという風に笑って、隠されていた左手から諸共、缶コーヒーを取り出して手渡してくれる。
「ところであの人、身よりは居るの?」
「居ますよ。あまり良くなさそうですが」
「そう。しばらく晴れそうなんだよね」
 そして彼は話し出す。僕は少しばかり温度の低い缶のプルタブを引いて少し啜る。
 周囲には鳥のさえずりが響き始め、それぞれが隔たるようにして立っていたビルの隙間を縫って、太陽が快晴を告げる。
 バベルの塔のように高いビルを仰げば、同時に雲ひとつない空も目に入る。
「凄い小さい頃に母さんと親戚の葬式に行ってさ、そのとき喪服ってやつを初めて着て。それがもうほとんど夏って頃で凄く暑いのに長袖で、周りの人が泣いてたりする中で俺はもうずっと服を脱ぎたかったわけさ」
 斜めに傾いだ視界で捉えた彼の横顔。とても大きな右目はまだ、空を仰いで部屋をまじまじと見つめている。
 彼の言葉はほとんどひとりごとで、僕が首を傾げるだけの相槌を入れる。
「ああいうのって何か雰囲気が凄いんだよね。小さくて意味とか悼む心とかもぜんぜんわからないのに、俺は暑いとか服を脱ぎたいとか言えなかったせいで脱水症状起こして、ちょっとした騒ぎになった」
 そっと左腕を上げて時計を見遣る。ここで話を遮ってもいいものか迷ったけれども、彼が自ら立ち上がるのを見上げて、僕は携帯電話を取り出した。
 あらかじめ決められていた番号へのコール。
 彼が歩き出すと同時に僕の耳にはダイヤルの音が響き、直後に彼がじっと見ていたマンションのフロア一帯は炎に包まれた。
 爆音と轟音とで、何事かと窓から顔を出す人、その悲鳴がドミノ倒しのように連鎖して、悲鳴と恐怖を撒き散らす。
 もうプラスチックの組み合わせになった携帯電話を、数歩先で僕を待つ沢田綱吉へと投げて渡す。彼はそれを一度手の中で躍らせると、爆発した上層階から落下して火の手をあげて燃え盛る鉄と布との融合した物体へと投げ入れた。
 太陽より強く色濃い灯りに照らされた彼の横顔はぞっとするほど悲痛で、その表情とコントラストが僕の脳の奥底に小さい種火を落とすのがわかった。
 一歩踏み出して距離を縮めるごとにその火を僕は慌てて踏み潰す。
「俺は死ぬなら六月がいいな」
「どうしたんですか急に」
 僕らは時折、炎を噴き出すマンションを仰ぎながら早足にその場を立ち去る。他人事に構っていては出社に間に合わないと無慈悲に急く、ありふれたサラリーマンの模倣を貫いて。
 そして悲鳴や轟音で、少しばかり声を張り上げなければ聞こえないけれど、彼の話を続きを促した。
「ちょっと自分でもロマンが過ぎるとは思うんだけど」
「何を今更」
「……梅雨じゃん。雨の日って実際のところ、泣いてくれても泣いてくれなくても喜んでいても全部一緒くたにして誤魔化せそうだなって思っただけ」
 少し辛辣すぎたかと後悔もほんの一瞬、その隙に彼は何事もなかったかのように声量を上げて言葉を重ねる。
「それにしてもお前、手段選ばないよな」
「だって目的が一緒なんだから、ここはひとつ協力した方が労力も時間も最小限で済む」
「そして……その後に、俺を始末する?」
「スマートでしょう」
「そうだけど、お前は俺を殺せないと思うなぁ」
 指先が冷えたのか、吐息で温めながら嘯いていたはずの彼には既に硬質な雰囲気がまとわりついていて。
 子どもじみた所作も思った場所から消え去っていて、気づけば半歩ほど後ろを歩く彼が、肩甲骨越しに心臓を撃ち抜く瞬間まで、僕の思考は瞬く間に演算しきっていた。
「お前は俺に対しての警戒の方法を忘れてるから、ベレッタひとつで終わりだよ」
「見事な、ものですね」
 その通り、僕はもう彼に対して敵意や殺意といった類の感情はおろか、裏切られても良いとすら思っていたのだ。
 裏切りというものがどこから発生して定義されるのかはケースバイケースだろうけれども、どんな状況にあったとしても僕は彼のすべてを許してしまっていた。
 そうして僕からすべての牙を奪って、彼はこの世を去っていった。
 しかし急所を撃ち抜く術を持つ彼の武器は、僕の命をそのままに主の懐へと舞い戻っていった。
「スマートでしょ」
 無邪気に僕のセリフを真似てちょっと似てるだろうと嬉しそうにする彼の姿を、僕は今後、ほとんど記憶に残さなくなる。
 悪事の血の臭いにまみれた部屋や他人の日常を壊しつくす炎などが及びもしないような、高濃度の汚濁の貯水池を泳ぐような日々が僕たちを待っていて。
 それはたった数年という短い間で直視に堪えない残骸の山を築き上げた。
 奇しくもその酷薄な彼の笑みを、真っ白く塗装された彼の素顔を最後と出来たのは、あまりに出来すぎた理想だった。
 これは間違いなく滑稽な理想の夢物語だった。
 この事の顛末は、すべて雲雀恭弥に語って聞かせたものだ。
 長い長い話に彼はずっと聞き入っていた。
 求めていたのがこの話ではないかも知れない。けれども今度こそ、僕はもうこれ以上を知りえることはないと、はっきりと断言できる。
 真偽のほどは確かめる術がないが、話し終えたところで雲雀恭弥は殊勝にも礼を言って、立ち去った。
 そうして帰りの飛行機、転寝の夢の中でもう一度辿る沢田綱吉の記憶はやはり、美しかった。
 どれだけ凶悪で酷薄で残忍な手でいくつもの人生を崩落させていったのだとしても、僕に彼を否定することはできない。
 僕にとって彼が何にも代えがたい至貴の存在であったということだけが、この場での真実だ。
 薄靄のかかってまだ半身が眠りの泥濘の中に浸ったまま、僕は飛行機の窓から外を見遣る。
 真っ青な空の中を通っていく機体は想像以上に静かで、空高く飛んでいるという空間の圧迫が、不思議と心地よい。
 僕はあの家を引き払おうと決意する。
 眇めた視界の先には、波の寄せる砂浜が広がっていた。


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